(四国徒歩一周に続き)九州も歩いて一周しちゃえ!

2015年4月から約2ヶ月間で四国を歩いて一周しました。 このブログは、今年も3月中旬から九州一周歩き旅へ出る私の、それまでの間の日常と、また歩き始めてからの旅日記を綴ります。

2015年06月

スズメバチ 巣を取りはらい スッキリと

庭のスズメバチの巣を夜襲。正確には夕方、枝ごと地面に
切り落とした後(この時、黒くペイントされた植木鋏や黒長靴に
ハチが向かってきた。ハチもムカッときたらしい。
黒を攻撃するというのは本当だ。)、深夜にゴキジェットを
巣の落ちた辺りに噴射。これが一部が欠けてしまいましたが、
戦果です。







今朝さっそくどうなったか見に行きました。ハチはいません。
巣を裏返してビックリ。もう小アリが群れています。久しぶりに
ハチの幼虫のご馳走にありつけるので大騒ぎ。







さてハチがいなくなって安心。庭の手入れに専念。相当頑張って、
ここまでスッキリとしました。切り落とした枝は数日間乾燥
させて、資源チップゴミと下草ゴミと分けて市の収集をお願いします。
以前なら自分にご褒美と称して、夕方になってフラフラと巷に
出かけましたが、薬を飲んでいるのでそうもいきません。
アイスクリーム2つでガマンです。


毎日の ゴミ出しだけが 人生だ

植木も切って放置するだけならまだ楽なのですが、
適当に切り揃えて縛り、木材チップにする資源ゴミと
して出すとなると別問題。下草も同様。そのまま
放置してもいつしか土に還るのですが、時間がかかるので
やはり透明ビニール袋に入れて市の回収に頼る事に。
汗をかきながら作業してほぼ70%終わった。"収穫"はまだ
直径が15cm程のスズメバチの巣を見つけたこと。
近々、寝込みを襲うつもりだ。写真右の木材チップ回収ゴミは
母宅との2軒分。左の下草ゴミは拙宅分のみ。








梅雨晴れて 笠取山へ 行きました

四国旅行でしばらく参加できなかったクラブの山行に
行ってきました。多摩川の源流の笠取山です。
前回は、山日記には2010年の5月に将監(しょうげん)峠から
唐松尾山、黒槐(くろえんじゅ)山経由で登ったと記されて
いました。ルートは全く違いますが、5年ぶりの再登です。

タクシーで塩山から約9500円で登山道入口の作場平へ。
四人分乗だから良いものの一人だとちょっと負担になります。
もっとも寝過ごして高尾からご帰館あそばされると深夜料金ですが、
ほぼ同額になるのですが。

歩き始めてすぐにお約束のクマちゃん看板。







光のコントラストが強すぎて沢がはっきりとしませんが、木橋の下は
きれいな水が流れています。







あたり一帯は都の水道局が管理していて、しっかりした標識があります。
写真には撮りませんでしたが、一帯の地図、水道豆知識を伝える看板も
ありました。この先の標識も、笠取山とは書かずに水干(みずひ)と書かれた
のがほとんどでした。源流の山なのでその表記でOKです。







約600mで次の標識が。地図はもちろん持参していますが、よく整備
されています。







梅雨が明けたのではと思わせるような青空が広がります。葉を通した
陽光も柔らかい。鳥や春蝉の鳴声もします。







登山道の傍に多くの巣箱を見ました。あまり使われている様子はありません。
鳥の子育てはこれからだとすれば、次第に使われるのかも。







笠取小屋に着きました。建屋2棟。素泊り4000円、テント場使用料500円。







ここまで来たら笠取山山頂まではすぐ、とはいきません。まだ1時間
はかかります。







早めの昼食を食べることになりました。いつも酒類を持っていくのですが 
歯茎が腫れて薬を飲んでいるため今日は飲まないことに決めていました。
皆さんが早起きして(なでしこジャパンの対オーストラリア戦を見るため
 があったかもしれませんが)作ってきてくれた料理が卓上にたくさん。
この日は何も持参せず戴いてばっかり。皆さん、すみませ〜ん!







枯れた杉でしょうか、スッと立っていたのが気になって撮りました。







クラブのメンバーはランチビアが効いたといいながら登っていましたが、
当方は完全ドライなので他のメンバーよりは多少有利だったかも知れません。
それでも登りはいつも辛いもの。







鹿の食害が酷いらしくネットで 幹を保護していました。小屋の周りでも
親子連れを見ました。人を恐れる様子はありません。話が脱線し、私が
箱根でシカ肉を食べた時はイチゴソースだったと言ったら、豚肉は
パイナップル、羊肉はリンゴだと、肉と果物の組合せの話へ。







あたりは草付きのなだらかな斜面で気持ちの良い所です。雁坂峠への
 道が分岐しています。いつかは歩いてみたい道です。








左の小山が3河川の分水嶺だそうです。早く行ってみましょう。







これが分水嶺の説明です。







というわけで、三角石柱の3面を撮りました。富士川は昨年登り、
あやうく遭難しかかった鋸山が源流です。
荒川の源流は知りませんが甲武信岳と言っても的外れではなさそう。







初雪の時にこの場所で同じアングルで撮ったら良いように思います。
それはともかく8割方は来たことになります。







目の前の山が笠取山です。ほぼ一直線に登ります。普通はもっと
左右に振って、ジグザグに道を作りますが、2点間の最短は直線であると
教えたい気持ちが伝わってきます。まるでスキー場のリフト下を登ら
されるよう。







雪もほとんど消えた富士山です。どういう訳か意味なく撮ってしまう
山が富士山。あ〜、ニッポン人!








これが笠取山のピークです。2枚上の写真の一番高い所。富士山も見えます。







実は先程のピークの裏側に、ちょっとした岩尾根をいったん下がって
登り返した所に本当のピークがあるのでした。気がつかずに、前峰の
偽ピークで引き返してしまう人もいそうです。







さて肝心の源流の最初のひとしずくです。ここが源流ですが、時折
雫が滴下するだけで流れにはなっていません。ここから数10m伏流
してから地上を流れ始めます。羽田の河口まで138km。歩くと1週間。







近くの看板。前に来た時は神社の祠があった様に思うのですが、
ありませんでした。記憶違いではなく、撤去されたと思いたい。







水干からちょっと下がった所の最初の流れです。私は飲みませんでしたが、
同行者がちょっと口にしてしょっぱい感じと言いました。







山小屋に戻りました。水場がすぐ近くです。いつも思う事ですが、
ちょっと下流へ行っただけで水量が多くなります。途中から沢が合流
していなくても相当に増えている。地下からかなりの水が地上に現れて
いるとしか考えられない。






水場に九輪草。濡場に不倫しそう。







少し下りるだけで水量は増えてくる。小川とミニミニ滝と。







言われるまで全く気に留めなかったのだが、厚い板の標識
の一部が壊されている。どうも熊の仕業らしい。熊の力
恐るべし。







塩山駅へ戻るタクシーを待たせているすぐ近くで鹿が早めの夕食。
リーダーが叫んだ。おーい、早くしろ!





















































































今日もまた スッキリしない 曇り空

四国旅行から戻って以来、ずっと運動不足が続いている。
本当の運動好きは雨だろうが雪だろうが天気に関わらず、
身体を動かしているのでしょうが、当方はお天気屋。
暑過ぎてもイヤ、雨はもっとイヤというわけで外出を
控えていた。

当初は多摩センターにある東京都埋蔵文化財調査センター
までウオーキングのつもりだった。旅行中に各地で観た
歴史館、民俗館や借りた「日本発掘」に触発されたと
思います。ここは拙宅からほぼ真南でそんなに遠くない。

ところが寄った図書館で歴史の本を色々と見ているうちに
気が変わった。多摩川方面は晴れていた方が楽しい散歩に
なる。では反対側の北にというので、玉川上水近くの武蔵美
を目指すことにした。無料の美術館で「絵の始まり 絵の終わり
下絵と本画の物語」を観に行くためだ。

家のすぐ近くで見つけたバス停。小型のコミュニティーバス
が走っているのは知っていたが、こんなバス停名とは知らなかった。
花よりは植木がたくさんある所ではありますが。







4戸分の宅地が売り出される様だ。外構は一番最後かと思っていたが、
ブロック塀を立てていた。







北のほうへは高圧線が延びている。







植生の違いで遠くから見ると色分けされた様になっている。2枚続けて。
黒土はフカフカと柔らかそうだった。







この辺りは若葉町だ。自転車屋さんもすっかり若葉色になっていた。







幼稚園に明るい紫色の花が咲いていた。







玉川上水に面した公園に狐の像。ここらにも棲んでいるのだろう。
「山の本」によると国立にも棲んでいると夜撮った写真が掲載されていた。







多摩美大の近くは朝鮮大学校、創価大学・高校、市立中と文教地区。
朝鮮大学校の正門の写真を撮ろうとしたら、中にいた人に撮らないでくれと
言われてしまった。仕方がないので駐禁を撮った。






これが武蔵美の正門だ。こちらはさすがに撮るなとは言わない。







正門脇ではタマ(武蔵美だからムサか? タマだったら多摩美大みたいだ)が
出迎えてくれた。







これが美術館へ通じる正面からまっすぐの道だ。少し明るくなって
雨の心配は無さそうだ。





これが美術館。どうも癖でカマラを少し傾けて撮ってしまうらしい。
シャッター押す瞬間は気がついていないのが始末に困る。
 







色々と展示替えをして一般に公開している。川鍋暁斎の骸骨の下絵が
すごくユーモラス。下絵でも着彩し額装してあると本画と全く変わらない
様に見えてしまう。







たぶん卒業生ではないと思いますが、中村とうようさんから寄付を受けた
多くのレコード等の資料を展示していた。また蓄音機を実際に回して
古い曲を聴かせてくれた。円筒状のレコード見て、しかも実際の音を
聴いたのは初めてでした。解説者の「最近の学生はレコードもCDも知らない
人が居ます」には驚きました。

























山登りよりも辛いよ草むしり

元々は四国ほぼ海沿いを歩いて一周するにあたり、
日記代わりに(友人の全面的なバックアップで)スタートした
ブログでしたが、来年の九州ほぼ海沿い徒歩旅行まで、
何もしないでいるとせっかくアップする方法を(例え決まりきった
フォーマットだけのやり方とはいえ)忘れてしまいそうなので、
時折日常の些事をアップしようと思った次第です。

庭が放ったらかしなので植物間陽光奪取合戦の様になっている。
今朝起きたら幸い雨も止み、急に庭仕事をする気になった。
すぐにハサミは出てきた。







最初に仕事前の様子を。







次に一仕事終わった様子を。右の鉢に植わっていた孟宗竹は、完全に
枯れたと思っていたが、水をやっているうちに数本に緑が復活してきたので、
それを残して切った。少し庭がスッキリした。







一番嬉しかったのは、雑草に囲まれていた花を見つけた事。
ホタルブクロという名前だった様に思います。周りの草を刈ったので
陽光が当たって来年はたくさん咲いて欲しい。







最後の写真はパピルスの仲間で、名前は2回聞きましたが忘れました。
小さな居酒屋で、その時は1年半ぶりに二度目だったのですが、初回時に
山の話で盛り上がったお客さんがまた見えていたので、私から、随分前ですが
ここで山の話をさせてもらった者ですと言ったら思い出してくれました。
なにかの拍子に、旅行中に孟宗竹を枯らしてしまった話をしたら、植物にも
詳しい方で、ちょっと待っていなさいと自宅へ戻って、2鉢抱えて戻りお好きな方を
お取りなさいと言ってくれたので遠慮なく頂いたのだこれ。その後、枯れたと思った
孟宗竹もやや緑を取り戻したので、来年あたりその居酒屋を通して、株分けした
竹でお礼ができればと思っています。
パピルスにはバンブーを!


















紫陽花や 季節は人を 待たず行く

茅舎の荒れ放題の庭にも今年も紫陽花が咲いた。雑草に囲まれて
居心地は悪そうだが負けずにいる。 手入れは一切していないが咲いてくれた。







四国へ行って少しうどんが好きになった気がする。うどん屋は、酒を
飲ませる発想が無いとみえて、だし巻き玉子、カモ肉焼、かまぼこ、
焼き海苔などの肴が少ない。それが今まであまり行かなかった理由です。
でも四国で、麺そのものの固さの違いや麺に色んな物、例えばコロッケ、
かき揚げなどのトッピングを乗せてたべるバラエティーを知って、たまには
良いかもと思い始めた。国分寺駅構内の立食い店舗で、コロッケうどん。360円。







東上野の源空寺へ。ここには谷文晁や幡随院長兵衛の墓がありますが
私の目的は別です。







伊能忠敬と忠敬に測地学を教えた高橋至時の墓が並んでいます。
左側が高橋さん。







右側が伊能さんです。墓前の文庫本は壮行会(というか飲み会)の席で、
山の先輩のN氏が下さったものだが、布団の中で広げると酒の影響もあって
全く進まず、帰宅してしまった今でも未だ読了していません。
申し訳ございません。







近くには地下鉄車両基地があります。運良く銀座線の電車が出庫する
時に出会いました。微速とはいえ、自分に向かって電車が近ずいて
来たので、思わず道を(正確には線路か?)譲りました。連続で。







浜松には新幹線が入出庫時に踏切を通る所があるそうですが、ここ
東上野の地下鉄踏切もちょっと面白い。電車は左から右へ進みます。







古い街を歩いていると思わぬ看板を見ることも多い。ドイツ語表記は
警察犬はシェパード、ドーベルマンなどのヨーロッパ犬種(と私は
思っているのですが、間違いだったらゴメンなさい)が多いからだろうか。







こういう特別な分野に特化しているのも面白い。仙台平の意味は分かりませんが
舞踊のある分野かも。
















掛川に 城があるのは 知らなんだ

昨夜は到着が21::00近くなり、市内は全く見ていない。
今朝はまず駅へ行った。







次へ掛川城へ。山内一豊が高知へ行く前に、ここで過ごした。
この城も戦後の再建。ここでせっかくなので、顔出し看板から
天守閣様にご登場願った。平成5年竣工、6年公開。







天守閣からの展望です。中央やや右の電波塔(赤白の方ではない)の奥が
掛川駅。






月曜日なので二の丸美術館は休館。宮城まり子のねむの木子供美術館、
吉行淳之介文学館はやっているが行かなかった。新幹線からも見える
資生堂美術館は前からとても行きたい美術館だが、こちらも月は休館








お城と御殿が共通入館券になっていて、こちらにも入った。
畳部屋、板の間多数。ザックは連日の観光の疲れから立っていられ
ないくらいお疲れの様子。







強化プラスチック製顔出し看板。今の鉄馬(バイク)なら、一豊さんの
腰に千代さんはしがみついているはず。







途中下車スタンプが多くなってきた。有効期間はまだ1日残っている。
中野で下りて飲み、荻窪で下りて飲み、西荻でもと、逆に戻らなければ
何度下りても構わない。







旅の最後に荷物を公開。充電器3種類他の電気を使う機器、用具の
全てです。ライト類は点灯しました。トンネル内では腕章型ライト
(緑に光っている。点滅も可能)が心強かった。







薬品、非常用ホイッスル、予備メガネなど。整腸剤、消化剤は役立ったが、
メガネは幸い使用の機会は無かった。ワセリンはほとんど毎日足裏に
塗って靴ずれを防いだ。






紙関係。地図はいちいち取り出すのが面倒だったが、ネット地図に
載っていない情報もあり持ってきて正解。3年日記は重いばかりで
持参しなくても良かったのかもしれない。






装備関係。ガスコンロとガスは一回も使わなかった。テント泊の時も
食事は食堂でできたので。







一番使ったのが両膝のサポーター。毎日着用したので、膝のトラブルは
無かった。レインウエア、シャッツ、ズボンなどはまとまると案外
かさばり重いが、しょうがない。この他、下着と靴下は割愛。







今回の旅では、色んな所で色んな方々にお世話になりました。また
このブログ開設には山仲間のIさんに特にお世話になりました。
旅に出てからも、携帯に読みやすくする助言を何度も頂きました。
本当にありがとうございました。
さらにブログをご覧頂いて声援をお送りくださった方にもお礼申し上げ
ます。
さて小生は二百名山の残り13座を今年中に登り終え、来年は今年と
同じ4月1日スタートで鹿児島→宮崎→大分→福岡→佐賀→熊本→鹿児島の
「九州ほぼ海沿い徒歩の旅」をする決意です。
次回は、またまたIさんに助けていただき、歩いた経路を地図で表示するなどの
工夫をしたいと思っています。
ではまたその時まで。東京駅にて。
エッ? 四国でどこが一番良かったかって? それは今度飲んだ時の話題にしましょう。


























































初めての 天理の街は すごかった

昨夜歩いたアーケードの宣伝幕。検察庁の啓蒙がこんな形でされるのは珍しい
と言ってよいのでは。シカトしないで全員参加の事!







夜の南都銀行本店。昔はこの様なエンタシス装飾の建物がかなり
在りましたが、第一勧業銀行の本店の様に建て直されて姿を消して
しまった例も多い。丸ノ内の銀行会館みたいに旧壁の一部を新建物
に入れて記憶をつないでいる例もありますが。









奈良市内から天理へ。宿舎が近鉄奈良駅近くだったので近鉄利用。







近鉄天理駅はJR天理駅と隣接しています。背中に天理教と染めた黒の
法被を着ている若者が多数いる。大学生かな?









てくちゃんはテクテク老人と違って、髪の毛黒々で元気一杯ですね。
りんちゃんのバンダナは何となくメキシコ風。







てくちゃんの出自。








どこの商店街にもこんなダジャレの店が一軒はある。イナイナイバー
はその中でも全国区ではないか。







長いアーケード街は結構な賑わい。本屋は天理教関係の本が多数。







アーケード街には天理大学や大学付属美術館のシュリーマン展の広告。







天理の造り酒屋さん。重いので買って持ち帰れない。







美術館(正式名称は天理大学参考館)はとても半日では無理。ゆっくり観たら
3日はかかる。シュリーマン展はとても面白かった。今では、その発掘方法が
乱暴過ぎると非難されていますが、ギリシャ文明を世界に知らしめた
功績は評価できる。







それにしても大きな施設だ。こんなに大きいとかなり下がっても
全体を撮せない。自転車の信徒は下りて一礼してから行く。








ダンス教室の看板。phatはかっこいいの意。少し太めの(fat)生徒さん
を募集している訳ではなさそう。絞りがいがありそうですがね。







民族博物館。郡山にあって、この街は金魚養殖としてしか知らなかった。
米作、林業の農具、道具類の展示。工夫を重ねて能率向上に取り組んできた
歴史が分かる。







今日だけでクマちゃん四頭捕獲した。スゴーイ!





















何でしょう 奈良ではならの 食べ物は?

最初に昨夜行った居酒屋での写真。キリンの岡山県限定
ビール。当方、限定の二文字にとても弱い。在庫は20本入り1ケース
しか無いとの事。5%の確率に入ったのを喜ぶべきか?
1ケースしか「仕入れなかった」のか「仕入れられなかった」のかの
明快な答えは求めなかった。常識的には前者。原料の一部に
岡山県産米を使用と言っていたが、小生には味の差は分からなかった。







次に行った会員制クラブ。実態は誰でも入れるバーですが、マスターの
話が面白い。関西の芸人風の喋り。今日から休みを取って、30数年前
彼の店で働いていた女性(今は55位らしい)の招待で沖縄に行くんだと
嬉しそうに話した。手前はサントリーの陶器ボトルで、ここら辺は
ウイスキーを飲む人はおらんから、と言って栓を開けたが、乾燥していて
コルクがねじ切れた。







バーの名は蓼。看板の字が見えなくて失礼。







領収書とマッチ。







城内の灰皿がカメレオン化。四面とも同一柄になっているのは
しょうがないか?







お城の説明。見ていると、私と同じでせかせかと歩いて、カシャっと
撮って またせかせかと立ち去る人が多い。じっくりその場で読めなくなっている。








津山城の天守は残っていない。火事で焼け、戦前3分の2の規模で 再建されたが、
敗戦の直前に敵機の目標になると破壊された。右奥は昨年竣工した備中櫓
(びっちゅうろう)。ザックのある場所が天守閣のあった辺り。







天守の辺りから全周を12枚の写真で。昨夜の雨で空気が澄んでいる。







寝そべったら気持ち良さそうな空間だった。立入禁止だが、誰も来ない事が
分かっていたら昼寝してしまうかも。係員「お客様、ご冗談を!」








土産物屋で。北海道では木彫りの熊は珍しくないが、内地ですから。







歴史民族館。錦屋の商号で両替、呉服、時計販売をしていた森本さんの
店の大福帳、家具等の調度品、収集した陶磁器を展示。







こっちは歴史民族館の本館。動物、鳥の剥製多数。広くて迷路の様な
順路と多数の展示物に頭がクラクラしてきた。よほど気力、体力が充実していない
全部は見られない。私は化石、鉱物だけを見てきた。







道路標識に鳥取まで80kmとありました。歩いて4日だが、山陰の
銀行の支店があるのを見ると、日本海が近く思える。







おもちゃ屋店頭でクマちゃん。







河童は私の守備範囲外だが表情が面白くて。







橋は昔も今も防衛の大事な拠点だ。







これが津山発佐用行きのワンマン運転電車。







数駅過ぎたら全員が下りて、車内は私一人だけとなった。
貸切状態。








佐用で乗り継ぎに一時間半ちかくもある。







野球用具メーカーのシール広告をまとった自販機。ガラスの写真と完全に
コラボしていれば、もっと良かった。






佐用からは2両編成。姫新線のマークとも。








新幹線は便利で速いが、乗っていると今までの旅とスピード感が
違いすぎて、浦島太郎さんになってしまう。京都まで缶コーヒー
一本の時間というと誇張ですが、45分の乗車はビール大ジョッキ3杯位の時間。







奈良行きの電車は、以前中央線や山手線を走っていた電車です。
写真を撮り忘れてしまいました。







ご存知柿の葉寿司。私にとっては一番奈良らしい食べ物です。



















































とりあえず 四国を離れて 津山です

昨夜は、善通寺泊まり。 観音寺のTennesseeで教えてもらった
Nashvilleへ行った。カントリーかと思っていたが、音楽はジャズ
のみ。ご夫婦でやっている。Old Gran Dad、Old Crowの炭酸割が
美味しかった。旅に中でいくつかのご夫婦でやっているバーに入ったが、
みな良い店だった。おかーちゃんが人一倍賑やかで、その分おとーちゃんが、
、黙々とグラス洗いをしていたり。またお母さんはお料理、お父さんは
接客と、どの店でも領域があるのが面白い。だからこそ上手くいっている。








今朝は市博物館へ行く予定だったが雨でやめた。駅への道筋に
市美術館があり、市民展だが時間潰しで入館。市民展なので、そう
広くない会場に写真、水彩、油彩、はり絵、押絵(葉や茎で画面構成)、
工芸、モビールアートと多種。でもそれなりに楽しかった。
出展者は写真以外はほとんど女性。写真は昨日撮ったもの。







地図で琴電にクマちゃん駅を見つけ行く事に。とりあえず琴平へ行き、
琴電へ乗換えだ。







懐かしい電車だ。昔緑とオレンジ色に塗られて東海道線を走っていた。







琴平から4駅先が目的地。ローカル線なのでやや運賃は割高。







琴電も派手なシール広告はついつい撮ってしまう。自分でもバカみたい
と思う。いや、そのものだ。







もうこうなっては病膏肓に至るレベルかも。単に駅名がクマちゃんだから
来た。青春18切符で、仙山線のやはりクマちゃん駅を撮りに出かけた事もある。
普通と快速しか乗れないから1日かかった。滞在わずか15分だった。







山が近いが雨で霞んでいる。







JR琴平駅へ戻り高松行きの普通電車に乗った。







坂出で岡山行きのマリーンライナーに乗り換える。







岡山駅で津山経由姫路までの切符を買う。津山線も姫新線も初乗車。
岡山・姫路の直通は通しで買ってあるので、居酒屋一軒分の無駄使い
となる。








岡山駅で食べたイチゴゼリー400円。これが今日の昼飯だ。
イチゴの銘柄は忘れましたが、同じゼリーも3種類あり、これは適度の
酸味が特徴だそうです。ゼリーとマッチしていた。お代わりしたかったが、
酒が不味くなるので止め。






15:11の津山行きです。







この電車に乗り終点まで行きます。琴平駅で見た電車と同じオレンジ色
だが、前照灯が上部にある、こちらの方が年式は新しいように思います。







快速なので66分で津山到着。雨で周りの山々がハッキリと見えないが、
ディーゼルエンジンの音で急坂を上っているのが分かる。
明日の予定を考えますが、博物館の高い評価を読んだのでここでゆっくり
して、姫路は通過しようとおもいます。もっとも言うこと、やる事が
コロコロ変わるヒトだけど。












寄道は 金刀比羅さんと 善通寺

急いで帰る必要もなく10:32の普通電車の高松行きに乗車。







単線ゆえ対向の特急電車、普通電車を待ち 、時に後続の特急に抜かれ
10分以上の停車はざら。多度津で11:59発の琴平行きに乗換え。






反対側のホームにはガンダムを連想させる普通電車の観音寺行き。






乗り越し精算が面倒なので一旦改札口を出て、切符購入後に再入場。






善通寺の駅構内。灸まんはお饅頭屋。後でここがやっている美術館に
行く予定。






駅構内にセブンイレブン。何か幕張メッセでのリテイルストア展に出店
しているような不思議な印象。






琴平駅です。瓦を使った昔ながらのデザイン。内部も広々している。







近くの琴電琴平駅も同様に昔風。







撮影スポットにはこんな標識が。







金刀比羅神宮の参道右手に金陵の本店。今は多度津に最新鋭の工場を
稼働させている。後でご覧頂きますが庭の大木が素晴らしい隆盛ぶり。







明治の頃活躍した高橋由一の常設館があった。誰でも「鮭」は教科書
で知っている。三島通庸が山形県令の時に高橋に絵を描かせたのは
知らなかった。かなりの絵が大阪の近鉄デパートに貸し出されていて
見られなかったのは残念。







金刀比羅宮の宝物館も行ってみたが、三十六歌仙もやはり貸出中。
甲冑、刀剣の類は興味なし。







神社境内に資生堂パーラーがあるのには驚きました。







船の神様らしく大手海運各社の寄付の証の石碑多数。







参道脇には古そうな旅館も。







金陵は琴平工場の一部を清酒ギャラリーとして、酒造りの過程を紹介
している。中庭の樹は香川県保存樹。







饅頭会社の灸まんが美術館をやっている。隣に灸まんうどんがあったので
遅い昼飯。ぶっかけ肉うどんとコロッケ、お稲荷さんと合わせて620円。







うどん屋の隣が美術館。和田邦坊と大森照成の郷土出身画家と陶芸家
の作品紹介。前者の絵は、大津絵みたい。後者の陶芸はよく分からない。







美術館の場所は、琴平駅から15分程善通寺方向へ行った所。
逆方向に戻るのは嫌なので、善通寺まで歩き始めた。正直、4km
もあるとは思わなかった。しかし歩き始めてしまったので、行くしかない。







319とは目の前の国道が319号線だから。







善通寺は空海生誕地。寺名が市名にもなっている。善通寺はたぶん
寺格も高いのだろう。





市図書館でクマちゃん発見。






このスタイルでの顔出し立て看は始めて見た。






小僧さん、小僧さん。編笠をあみだに被っちゃいけませんヨ。







本当に立派な五重塔だ。西陽で輝いていた。我がザックがどんだけ
逆立ちしても絶対に勝てない。








 











































新居浜を 止めて訳あり 伊予三島

新居浜へ泊まろうと思っていましたが、新居浜は
駅から繁華街が遠くて、しかも宿泊費が割高な施設が多く、
さらに伊予三島(現在は四国中央市)で行ったバーが良かったのを
思い出し、車内で気が変わりました。

駅からホテルへ歩く途中、見た梅錦の看板。一つ隣駅の川之江の酒。
川之江は通過しただけで泊まっていない。その時の印象は、川之江は
伊予三島より小都市と思ったのだが、バーのマスターに言わせると、
三島は工業都市、川之江は商業都市、飲食店の数は川之江が多いという。
旅人の印象はあてにならない一例か。







久々にクマちゃんを発見して嬉しかった。







5月中旬、西に向かって歩いていた時に行ったバー。開店時間までまだ
ちょっとある。
化粧なしのスッピンの顔を見られて恥ずかしがっている様だ。







化粧バッチリのお顔をご覧あれ。







商店街は閑散としていた。三高とは三島高校だろう。美術部生徒の
描いた落ち穂拾い。こっちはとっくに、ぬれ落ち葉である。







居酒屋の貸し売りお断りの看板。開店時に客が持ってきたという。
「人ど」ではなくて「人ぞ」のような気がした。







よせばいいのに、もう一軒行ってしまった。ご夫婦でやっている。
「Snack」でなく、どうして「Pub」にしたのか訊いたら、他店と
違う印象を持たせたかったからとの返事。英語の漢字表記は
私の好みではないが(来夢来人と書いてライムライト、訪恵夢で
ポエム等)、値段、雰囲気等悪い店ではなかった。


















どうしても 終わらせたくない 四国旅

これが昨夜寝酒を飲みに行ったBar R's。夜中に喉が渇いて
目覚めたら、音して雨が降っていた。







チェックアウトぎりぎりの10時まで在室。松山までの特急券を買った。







10:23に八幡浜を出て、11:06には松山へ着いてしまった。
乗ったのはアンパンマン電車。車内清掃、座席方向転換をして、
宇和島行きになる。塗装がハデハデなので、つい撮りすぎる。







駅構内の食堂に入って昼飯。旅行中、ソバを食べた記憶が無い。
二ヶ月ぶりのソバだ。ぶっかけ肉ソバ610円。







四国らしいといえば、ソバがウドンより20円高い。







普通電車に乗り換え、松山から三駅の堀江へ来た。駅舎は貨物列車の
二次使用。







そのうち、「全国水たまり百選」ができるのではないか?







確かに何事をやるにしても、江戸時代は基本的に人力だけなので、
相当な苦労があったに違いない。







これがボイラー大手の三浦工業がやっているMiurart。安藤義茂展をやっていた。
黒くて太い線がルオーを連想させる。全くの初見だった。








ちょうど昼時で、食事を終えた三浦工業の社員が散歩を。一周ちょうど
1kmだそうだ。







13:45の電車で伊予北条へ向かう。伊予西条行きもあるのがややこしい。







明るくて見やすい料金表示。







伊予北条で次の電車が来るまで約一時間程またされる。





車窓から懐かしい景色が見える。
二枚目の写真は菊間の瓦会館。以前通った時はバラ祭りで一杯の人だった。
三枚目は太陽石油の製油所。








次に来た電車は伊予西条止まりなので、ここでまた電車待ちだ。
17:09の観音寺行きに乗ります。電車の本数が増えてきたようだ。
今夜の泊まりは新居浜の予定だ。












































それなりに 充実していた 四国です

今日は八幡浜へ戻って、曲がりなりに一周が終わる筈です。
佐田岬メロディーラインと称する道を東へ向かうのですが、
一度歩いた所はバスで楽します。
宿から30mで三崎バス停。ここから八幡浜駅行きと松山市駅
のバスが出ている。乗ったのは9時の八幡浜駅行き。
左奥にフェリーが見えます。







乗車時間およそ45分、1270円の要出橋バス停で下車。終点の八幡浜駅
迄は1380円ですから、僅か110円だけの歩きで、連日の徒歩数に比べて
超楽勝です。






数日前、このT字路を右折して三崎港、伊方方向へ歩いたのでした。
その交差点に戻ってきました。今日は左です。






カタカタ表記だと漢字や英スペルを考えるのが好きだ。この「イフイ」に
どんな漢字表記があるのか? 井伏伊だろうか。経営者三人出資で石川、福井、
岩手さんの頭文字とは考えにくい。







看板の足元には石像。頭カタソー。







横綱が誕生するたびにこんな標識を作っていたら、いくつ数があっても
足りなくなるのではと思いかけたが、日本人横綱は誕生しないからいいか?







「みもこし」とは読めない。地元の人は難なく読むだろうが。







友達のNさんが日土でミカン農家をやっている。今晩飲む約束になっている。
3月末、四国へ青春18切符で来る途中に会った浜松のYさん、高松の自宅で
歓待してくれたHさん、一時帰宅し再度四国へ向かう時に会った在阪のHさんの
3人は元勤務の会社の同僚。一方ミカン農家のNさんも会社勤務の折に、同じ
札幌にいて、会社同士が取引があり、当時下手なゴルフをした仲間。
こう書き出すと全員札幌つながり。仕事そこそこに、一生懸命遊んだから
今でもこうして飲めるのかも。







閉店している焼肉店。goodの後の?が面白かったので撮った。
何となく自信無さそうな趣。







たったの4km。軽い、軽い!







町医者とはいえ藪では務まらない。







歩行者用のトンネルがある。涼しい風が吹き抜けていく。内部の写真とも。







最初に九州と結ぶフェリーが就航したのが八幡浜だそうだ。その記念碑。







八幡浜市役所です。







二宮忠八さんは飛行機の実験をした人だそうです。これでマークの謎が
解けました。







浮きを使ってフラワーポットに。







さて 八幡浜駅に到着です。3月31日にも出迎えてくれたチャンポン大王
と再会。







友達との約束の時間まで少しあるので、隣の市の大洲へ。







電車の本数が少ないので記憶の良いお方は全ての時刻を憶えられる
のでは。13:48の普通電車に乗った。







車内ガラガラ。乗客3人。







松山へ行くには2つのルートがあります。とても分かりやすく、洒落た感じ
のポスターです。特急は 右の内子しか通りません。








大洲城の写真2枚。天守閣が吹抜け構造になっているのが他と違う。







訪問者へ注意を促す掲示。







駅近くの博物館へ。社会教育センターか社教と言わないと分かって
もらえない。ちょっと質問(二宮敬作さんはどんな方ですか)したら
お茶を入れて下さった。シーボルトに西洋医学を学んだ先駆者だそう。







大洲は鵜飼でも有名らしい。







明日の切符を買った。まだ帰りたくない気持も少し有り。



























































































遠路往く 一陣の風 佐田岬

最初に訂正。
砂州が海の一部を池にしてしまいできた地形は
潟湖でした。失礼しました。ラグーンは礁湖とあり、同じか
どうかもう一度調べます。私の記憶が正しければ、南洋で島の周りの
珊瑚礁が島を囲むように円形に一周して、丸い海水湖を作った時に
その潟をラグーンと云うのではないかと思っているのですが。

泊まった旅館の領収書。館内に静かにジャズを流して
それなりに雰囲気作りに気を配っているのは分かりますが、故障している
ドアフォーンを直したり、ごめんください、おはようございます、
ごちそうさまでしたとの客の声に適切に対応するのが先のように思う。

昨夕のチェックイン時も、大きく怒鳴るような声で、ごめんくださいと
何度呼びかけても反応が無いので、玄関先から電話した。

今朝も食堂でおはようございますと呼びかけても無反応。昨夕も今朝も
イラっとしたので、2円オマケしてくれた釣銭をわざと置いてきた。
出発時も、大きな声でお世話様でしたと奥に向かって声を掛けても
同様。奥からは乳児の泣き声がするだけ。







出発時からイラっとしたが、機嫌を直して歩き始めた。ちょうど
港にフェリーが入ってきた。







さっき入港したばかりの船がもう出港し、あっさりと私を抜いていく。







ミカン農家が何やら作業中。農薬散布だろうか。






色んな補助事業が行われている様だ。本当に必要なのかどうかは
私には判断出来ません。







今日の目標は佐田岬とハッキリしている。幸い雨の降る心配は無い。







どうやら佐田岬は原発だけかと思っていたらそうでは無く、風車発電の
地区でもある様だ。







道が狭くて飛ばす車は無い。ゆっくりと道の反対側に渡っても大丈夫。





難物と云われて安くなっているようだが、とても重いので買う訳にいかない。







難読地名の上位に来ても不思議では無い。







週末しか営業していない。もっとも開店していても魚介類は持って
帰れない。







標識がしっかりと、主な分岐毎にあって迷う事は無い。他府県ナンバーの
車もちらほら。







見えてきたのは愛媛最西端の佐田岬漁港だ。小型船2隻が漁から帰って
きた。







約2km進んだ。前進あるのみ、ですね。灯光を黄色で示すなど芸が
細かい。







戦争中、佐田岬に軍の施設を建設するため、資材の陸揚げ用に埠頭を
作った。まだ残っている。500mといえども、遠回りする体力の余裕無し。







標識の距離表示も100m単位と細かい。切り上げてkm単位で書かれる
よりはずっと良い。







やっと駐車場に着いた。ここからは幅1m程の小路を行く。駐車場は
車が5〜6台。平日なので空いている。







実はこの時点まで、ここが国立公園とは知らなかった。がんばりましょう、と
呼びかけられなくても、ここまで来たら行くしかない。







浜に下りる小径に海草が干してあった。海苔の様な良い香りがする。







灯台の敷地に入った。由来や仕様が書かれている。いつもそうだが、
後から読めばいいやと思って、写真に撮るだけ。後日じっくりと読み直す
事はまず無い。人間無精になった。







これがゴールの燈臺。灯台によっては内部を公開しているが、ここは
非公開。もっとも、公開されていても狭い閉所空間で、螺旋階段を
グルグル登るのが好きでは無い方もおられよう。







角度を変えてタワー先端まで入れてみました。タワーは思っていた程
高くありません。





灯台から振り返って、岬の南岸の宇和海方向を撮ったものです。
クマが寝そべったように見えると書いてあったのですが、クマちゃん
大好きの私ですが、想像力欠如のせいでそう見えません。







灯台裏手のテラスに回ってみました。九州が近いのがよく分かります。







小島が薄く見えます。島名を確認しようと持ってきた四国道路地図を
広げましたが、大分県になるらしく、分かりませんでした。







テラスに記念撮影用の2段の石段があり、その裏に東経、北緯が。







灯台の東が椿山展望台という小高い丘です。そこからのショット2枚。
海の色がきれいな青に出ていないのが残念。







さあ三崎港まで帰りましょう。全く同じルートですので写真は一枚も
撮ることがないと思っていました。ところが視野が違うのと、往きに
気がつかなかった事が復路に気づいたり。
これもその1枚。単にみつばちハッチにしか見えなかったのが、浮きを
利用した装飾でした。耳の緑のイボイボは何の廃物利用だろう?







また往きは撮る気にならなかったのが、復路では撮る気になったり。
岬十三里とはこれだけ長いと云っている。







農免とは何か税法上の特典を得て建設されたものか? よく知りません。







近くで見上げるとかなり大きい。風切り音はそれ程でもない。
近くの農家の方に伺ったら、住居から近い風車は夜は回さない措置が
取られているそうだ。







湾の奥の三崎港にかなり近づいた。フェリーにまたも追い越される。







港町らしくロープ断線へ注意を促す掲示が。一般の人でロープに関心を
持つのは、ボーイスカウトの指導者と岩壁攀じ登り人間(クライマー)ぐらい
だろう。安全確認後に、この場合は緑のテープを巻くようだ。







こんもりした大木。三崎が北限地と記されていた。説明文とも。
但し説明文はかすれて全部読めないが、アコウだけは記憶しようと
思っています。







サイクリストへの注意呼びかけ。路上にペイントしたのもどこかで
見た記憶有り。最近のニュースで、年間約500人の歩行者が自転車事故で
亡くなっていて、その75%が自転車側に過失があってだという。



























































































































































































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