(四国徒歩一周に続き)九州も歩いて一周しちゃえ!

2015年4月から約2ヶ月間で四国を歩いて一周しました。 このブログは、今年も3月中旬から九州一周歩き旅へ出る私の、それまでの間の日常と、また歩き始めてからの旅日記を綴ります。

2016年02月

国芳の 才と数多の 弟子たちよ


練馬区立美術館で国芳展をやっている。この絵師の素晴らしいのは、
自身の才能もさることながら、多くの弟子を育てた事。
芳艶、芳虎、芳宗、芳幾、芳藤、芳鶴、芳雪、芳員、芳女、芳廉、
芳形、芳房、芳梅、芳貞、芳政、芳春、芳舟。(芳幾を除いて全て歌川姓)
その他にも河鍋暁斎や月岡芳年らも。同展は4月10日迄だが、3期に分けて、
一部作品を入れ換えて展示。なお偶然か、3月19日から6月5日間も、
渋谷Bunkamura ザ・ミュージアムでも「俺たちの国芳 わたしの国貞」展が
開催予定。
付記:この作品は、洋画家のいさお(「直」の下に「心」)俊彦さんのコレクション
だという。失礼ながら同氏のお名前は初見でした。







西武・池袋線・中村橋駅は、美術館の最寄駅です。余計な、クマちゃん
とクマもどき写真を添付。

三陸の 津波写真が 迫りくる


目黒区美術館で東日本大震災の写真展をやっている。2011と2015年の
2回、三陸を訪ねているが、都度、気仙沼のリアス・アーク美術館に行けず
じまいで、残念に思っていたが、今回目黒で同館から借りた作品展を開催
しており訪問。同館の学芸員も被災したなか、自ら撮った多くの写真が、
ちょっと長めのキャプションとともに紹介されている。2時間半ほどかけて
全部読み、観ましたがちょっと疲れてしまいました。







西荻で途中下車してバーと居酒屋で元気回復。

淡雪や クロッカス少し 寒かろう


庭に少し昨夜の雪が残っている。







隣家から頂き、昨日植えたクロッカス5鉢。こうして見ると、最外の白と、
外から2番目の青をそれぞれ入れ換えた方が、色のバランスが良いような
気がしてきましたが、もう遅い。







雪は植木には厳しい試練かもしれないが、案外これはこれでもうすぐ
春だよと言ってるのかも。







例年早く咲く技研(鉄道総合技術研究所)前の桜が、今年も開花した。
後ろに見える技研職員宿舎に囲まれて、風が当たらず少し暖かい環境
なのかと思う。

歳とれば 病院ハシゴの 辛さかな

6ヶ月に1度の眼科医と、毎日行く耳鼻科医が今日は
重なってしまった。病院通いで1日の予定が決まって
しまうなんて、イヤな感じ。御茶ノ水駅前の眼科医院19階待合室から
スカイツリーが見える。







ドクター、事務職員、皆さん親切に対応してくださるのだが、いかんせん
待ち時間が長い。今日も2時間30分待って、まだ私の前に10人以上待っている。
常に半日仕事と諦めている。







国立へ戻った。耳鼻科医は、先週末にスキー場で声が出なくなって以来
毎日通院。3:00pmの開診時間まで、ちょっと時間があるので、駅南口の
多摩信用金庫ビル6階の「たましん歴史・美術館」へ。東洋古陶磁展。
写真は美術館から見た国立駅。

訪れた 沼田みなかみ 古城跡


片品スキー場の帰りに、最初に沼田城を訪ねた。今は石垣しか残っていないが、
建設時は五重塔があったそうだ。沼田の市内、利根川が近くに見渡せる
いかにもと言った築城好適地。







北の方に迦葉山(1322m)が見える。後で山の写真もう1枚出てきます。







城内にあったという五重塔の根拠は、写真の左の絵図。
徳川幕府が各藩に命じて、提出させたもの。赤く記された「現在地」の
上です。







どこへ行っても、真田意匠の自販機。安っぽいイラスト。
と言いながら、小松姫がもっと色っぽかったら許す!






沼田城から北へ約10分の名胡桃(なぐるみ)城址へ来ました。
バカなお話1つ。紙の地図で、この城を存在を知り行くことにしたが、
「多胡桃」と誤読し、読み方が分からずにカーナビに「たこもも」、
「たことう」や「こ」を「ご」したり色々入力しても出てこない。
そのうち先輩K氏がスマホの音声入力で探してくれて来る事が出来ました。







利根川に向かう2本の沢筋でできた、細長い尾根の地形を活かして
城址はあります。山は迦葉山。西から見ていますが、山容が南からとは
かなり違って、平らに見えます。







発掘、保存工事が行われていました。着色セメントの四角は建物跡地。
山城で天守は無かった。2つの城址を訪ねて分かったのは、この地は
北条氏、真田氏の勢力争いのまさに前線だった事でした。










小雪舞う スキー大会 無事終わる


ちょっと写りが悪いですが、斜面に向かって右の旗門が我々のグループの
草レース会場。







ゲレンデでクマちゃん発見。逆向きなので正しい向きに直すのだが、
風ですぐ反転。







ランチは軽めに。今夜の酒は重くなる予感。







みんないい歳(除く、ファミリー参加の子供さん)なのだが、レース直前まで、
古いワックスをスクレーパーで落としたり、新たにワックスを塗ったり。
かくいう老生も自宅でしっかり塗ってきました。







午後になって、小雪がちらつき始めた。雨でなくて良かった。
タイムレース終了後も、各自自由に滑っていたが、私はレストランに
直行して、ティータイム。







少しずつ雪が多くなってきた感じがする。スキー場は大歓迎だろう。
宿のマイクロバスが迎えに来るまで、まだ90分も。コーヒーも飽きた。









見ずじまい 太田の山城 金山城


明日、年一度のスキークラブのOB会が群馬県の片品スキー場で行われる。
八王子のK先輩と共に現地へ向かうのですが、その前に私の希望で、太田市の
金山城資料館へ寄りました。最近話題の歴女ではありませんが、きっかけは
JRの広報誌。落語家の春風亭昇太さんがこの城を訪ねて、東国では珍しい
石垣の魅力について思い入れたっぷりに紹介してくれていました。
我々はというと、資料館はゆっくり見学(無料)させて頂きましたが、肝心の
城、石垣に関しては、また後日にという事で完全パス。1つだけ理解したのは、
山の尾根筋を巧く活用した城造り。手許の資料によると、1469年に新田家純が築城、
1590年に豊臣秀吉の北条氏攻略で廃城だそうです。今現在、少しずつ発掘が
継続中の様です。
(山頂展望台から、太田市の真ん中にある富士重工の工場が大きく見えました)

足慣らし 40年ぶり 狭山スキー


今週末のOBスキー会の足慣らしで狭山スキー場へ。学生時代以来と
思う。願いは、ただただ当日ケガしない様に、九州徒歩旅行が計画倒れに
ならない様にと思うココロ。







平日午前中だが、リフト待ち40m。若いスノーボーダー8割。
中高年スキーヤー2割。その逆、若いスキーヤーもいないし、中高年の
ボーダーもいない。年齢によりはっきりと分かれている。







左からサヤ・マスベル、トコ・ロ・ザワーヌ、イル・マスベッタ。
5本滑ったので帰ります。

風寒し 初めて下りた 清瀬駅


駅から郷土博物館へ歩き始めたら、関西でもないのに「はんしん」。







東京の西郊を実感する。







タイトルの意味がよく分からない。博物館への道は、いかにもアートしていた。
他にも作品多数。







林 亮太展。色鉛筆画という。ガラスや自動車、樹木などの質感を
色鉛筆だけで表現している。無料。







これはロビーにあった別の作家の展示。切り絵を重ねて奥行を出している。







博物館の正面から撮った。ケヤキ並木を右に歩けば駅へ10分。

春まじか 20年ぶり 技術館

科学技術館で毎土曜日午後に研究者のライブトークが
聴けるというので出かけた。この日は慶大・理工学部の
門内さんの「見えない光・聞こえない音が可能にする体験」。
人間の目に見える、可視光での研究(顕微鏡、天体望遠鏡)と
電波の研究(通信、レーダー、宇宙観測)のちょうど中間の
周波数は今まであまり研究が進んでいなかったそうですが、研究
 チームはその領域をやっているのだそうです。

スライドで、空中にタッチパネルが現れ、それを押して機器を
操作する様子が紹介されましたが、それと中間領域の周波数がどう
関連するのかがいまいち分かりませんでした。
分かりやすかったのは、空港等ですぐにでも実用化できそうな刃物を
見つける技術(照射しても無害)でした。一日中楽しめます。


チョコ売り場 すっかり定着 バレンタイン


ヨーロッパから著名な菓子職人を招いて、手作りしている様だ。
八重洲口の大丸で。

着々と 九州旅行の 準備する

旅行中に疼き始めたら困ると、思い切って奥歯を抜歯したが、
それから1週間。2針縫った所を今日抜糸して完了。
留守中に郵便物が溜まると困るので、山用品店のダイレクト・
メールからNTT請求書まで、定期的に送ってくる郵便物の宛先を
近くの母宅へ変更した。公的関係の変更は、市役所だけとなった。

買物は、ザックカバー(前回の旅行から帰宅後見当たらない)と
レイン・ウエア(今のは、工事現場のオジサンみたいな黄の上下で、
20年以上着ているので、これを機会に新調しようかと)の2つくらい。
後者は絶対ではありませんが。

あと最重要なのは、青春18切符で途中下車して一緒に飲む友人への連絡!

環八を 高島平から 荻窪へ


天気が良いので、ノンビリと散歩を。ただ車が多いのであまり健康的
では無いかも。







歩き始めてすぐに白子川を渡る三園橋に来た。環八沿いより歩きやすい
ので、川沿いウオーキングに変更。







自動水位警報機。電波を水面に照射して反射時間の多少で計測している
らしい。







葛餅やさん。買おうかとかなり迷ったが、結局未練残して去る。







数メートル離れて白子と大和町の標識。大和が旧町名なのか、2つの
町境なのか不明。







東武線を超えて、いま来た道を振り返ります。この先で川沿いの道は
無くなり、一般道を南下しました。







立派な黒松。練馬区の保存樹になっていました。お寺の境内です。
妙法寺だったような気がします。







初めて見た自転車空気ポンプ。100円。







目白通りの谷原交差点まで来ました。ラジオで、よく渋滞情報で名前を
聴きます。







広い境内のお寺です。







西武・池袋線の高架下を通ります。







ガソリンが安くなりました。会員価格は二桁の99円です。







西武・新宿線・井荻駅で普通電車を特急が追い越して行きました。







桃園幼稚園か保育園のクマちゃん。







マンション入口の木彫。一木造りとすれば、親指から小指までのかなり
太い木。







ゴールの荻窪駅へ来ました。







喉の渇きをいやすのに、阿佐ヶ谷へ移動してヒグマビールで乾杯です。

アボガドと ヒヤシンスのある 内と外


アボガドが日に日に成長している。這えば立て、立てば歩けの親心で、
花が咲くのを心待ちにしている。いえいえ、実の収穫までは望んでいません。







一方、外はといえば隣宅から頂いたヒヤシンス5つの球根中4つが
芽を出した。お世話は何にもセワセンズ!唯一、海苔に入っている
石灰の乾燥剤を地面に撒いただけ。これとて植物に良いか悪いか分からぬ
ままに、不燃物ゴミの量を減らすためだけでした。これも早く花が咲けと
祈っています。

国立の 公文書館 ひっそりと


東京駅からお堀沿いを北へ。







竹橋の毎日新聞社ビル。若い時に勤務していた会社の関連会社がここに
 入居していて、毎月打合せでここに大手町から歩いてきていた。
40年前と変わらないビル。






近代美術館前の宣伝幕。今日はここが目的ではなく、400m先の工芸館へ
行くつもり。近代美術館は無料公開日に行けば良いので。







公文書館の前まで来たら、まだここに入った事が無いので予定変更。







母子の健康のくくりで、今の天皇陛下の誕生時の新聞が。体重、身長も
記載の記事。







大正時代は2割弱の乳児が死亡していたと知って、あまりの高率に驚く。







戦前は國民體力法なる法律もあったという。知らないことだらけ。







頑健な兵士は健康な赤ちゃんから、という事だと思う。







小生の生まれた昭和24年でも、下がってきたとはいえまだ60/1000の
高死亡率。今は2位まで低下。







ここには日米安保条約や東京オリンピック開催時の内閣署名文書も
ありました。また複製ですが帝国憲法や現憲法の天皇陛下御璽、署名
の公布文書も見られます。


















ミュージアム 骨格標本見て 抜歯


東京駅の周りが高層ビルだらけになった。1972年(就職した年)当時とは
大違い。この丸の内南口にある東京中央郵便局跡地のビルの中にも、
東大の学術文化総合ミュージアムが入っている。館内撮影禁止。無料。






八重洲側にも負けずに高層ビル。学術文化ミュージアム見学後、あの
ビルの足元の歯科医に向かう。来月からの九州旅行に備えて、気になる
奥歯を診てもらうため。







平日の午後だが、意外に多くの人が来ている。館内は古色蒼然とした
雰囲気を出すのに成功している。ビル内の一室とは思えない。動物の
骨格標本かなり多数。鳥類は体重を軽くするのに、歯を無くすように
進化したそうです。







前から気になっていて、何度も治療してきた奥歯ですが、万一旅先で
悪くなっても困るし、治療しても再発する事がよくあると聞いて抜歯を
決意。自分でも可笑しいくらい緊張しましたが、割と短く終わりました。
ドクターから今日だけはお酒飲んではダメとキツく言い渡されましたので、
守ります。貰ったチラシがクマちゃんだったのが、せめてもの慰め。








寒空や 初めて歩いた 谷端川


板橋から東中野まで歩く事に。どうせ歩くなら山手通り(環6)では、
車が多くてつまらないので、谷端川緑道を歩きました。うす曇りで
やや肌寒かった。







川は全て暗渠になっています。川の蛇行で緑道は直線部少なし。







ツキノワグマの運転士さんと乗客のヒグマさんたち。







新宿区に入ったら、過去に住んだ文化人の住居所在図が。







佐伯祐三のアトリエ跡地が公園になっているのを知り寄り道。
月曜日でアトリエは公開していないので庭先だけで失礼しました。
瀟洒な建物でした。







辺りを見下ろす様な高層マンションが見えてきたので、東中野は近い。







昔はここに日本閣という結婚式場があったが、その跡地の建物。
まだ日本閣はこの建屋内でやっているかも。







東中野駅に着いて今日のお散歩終了です。

ハンセン病 差別・絶望・悲嘆・希望


西武・秋津か清瀬から歩いて30分の国立ハンセン病資料館へ向かう
途中に、キリスト教系らしい病院(前のバス停)。p







キャンパスや野球場には狭い土地に大学敷地の表示。体育会系クラブの
寮があったものかと。







資料館に隣接の研究所。







前から何となく気になっていたこの資料館。数日前のラジオ番組で
資料館の事を聴いたのが、背中を押してくれた。
戦前の事とはいえ、療養所に収容するのに強制的な連行があり、所内でも
今の人権感覚から見れば酷い待遇。当時の医学知識水準から見れば、
一般市民がこの病気を恐れ、患者、家族から遠ざかろうとした気持も
分からないでは無いが、勿論それは患者に深い絶望感をもたらした。
悲惨だった当時の現実を知るにつけ、気持ちは
重くなってしまいましたが、最後の第4展示室に来て、患者手作りの陶器、
 木彫仏像や絵画を見て、少し気持ちが軽くなりました。
気軽にワイガヤで見る資料館ではありませんが、ぜひ多くの方に一度
訪問される事をお勧めします。撮影不可。無料。

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